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【社会と教育】外国籍児童の「教育権」を問う:クルド人女児除籍報道と制度の隙間

クルド人女児の小学校「除籍」について

古い時事問題ですが、在日外国人の子どもの教育権を考えるうえで重要な問題だと思いますので、書いてみますね。

さいたま市教育委員会(市教委)が、小学校に通学していたクルド人女児を、在留資格を喪失したことを知ったことから「除籍」にしていたことが報道されました。
(「さいたま市教委、クルド人女児の小学校通学を阻む 在留資格の喪失を知り「除籍」…政府方針と異なる対応」『東京新聞』2025年1月24日6:00付)

文部科学省は、在留資格がなくても、住所が確認できる書類があれば義務教育を受けさせるよう自治体に指導していることから、政府の方針に違反する可能性があるとされていました。
この報道があり、市教委は対応の誤りを認め、女児が復学できるよう手続きを進めるとしました。
(「クルド人女児の通学阻んだのは、さいたま市教委の「認識不足」 「除籍」誤り認め謝罪、復学へ手続き」『東京新聞』2025年1月24日21:03付)

新聞報道を読むと、その根拠には「子どもの権利条約」があげられており、国籍を問わずに教育を受ける権利があると明示されています。
日本国憲法では、日本国籍がある者に教育を受ける権利があるように読めますが、子どもの権利条約を批准していますので、国籍を問わず、ということになるわけですよね。

というか、子どもの権利条約を批准していなくても、国際人権規約A規約によって、教育を受ける権利は保障されるのではないかと思います。
A規約第十三条2に、「(a)初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。」とありますから。本件女児の場合は、小学校に在籍していたわけですし。

中等教育についても、「(b)種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的(※)な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。」とあります。
(※ブログ掲載用注:条約の公式訳に合わせて「斬新的」を「漸進的」に修正しています)

日本が国際人権規約を批准したのは、1979年です。日本社会にこのような考え方が、いかに浸透していないか、改めて考えさせられます。

在留資格がない外国籍児童生徒の除籍問題については、筆者が記憶するところ、1992年に香川県善通寺市のケースが大きく報道されたように思います。
(「日系人の就学阻む 一家、失意の帰国 香川・善通寺市」『朝日新聞』大阪版、1992年7月14日付)
このケースでは、就学通知を、韓国・朝鮮籍の外国籍児には送付していましたが、南米出身の日系人には送付していなかったことが問題になりました。

日本は、1994年に子どもの権利条約を批准しています。善通寺市のケースは1992年ですから、子どもの権利条約だけを外国籍児童の就学の根拠にしてしまうと、善通寺市の対応は問題がないということになってしまいます。
一般的な国際人権規約よりも、子どもに限定した子どもの権利条約の方が適切だから、ということで子どもの権利条約が根拠となっていて、子どもの権利条約批准以前であれば、国際人権規約を根拠に論じる、ということが当然のこととされていればいいのですが。

いずれにしても、1979年に決着がついている問題を論じなければならないということに脱力します。

ただ、A規約及び子どもの権利条約が規定するように、在留資格がなくても就学が可能ということが周知徹底され、就学通知を受け取っていたとしても、在留資格がない場合、出入国在留管理庁(入管)への通報を恐れて、就学しないケースも十分予想されます。
滞在資格と就学する権利は別のものだということ、外国籍児童生徒の保護者、教育委員会ともに、知られていないことが問題だと思います。
ただ、このような場合は、制度上には「欠陥」が無いことになりますので、より問題解決が難しくなってしまうのではないかと思います。
このような、在留資格の有無と就学という問題について、日本ではものすごく感度が低いのではないかと思います。

『ぼくたちは幽霊じゃない』から見えてくるもの

先日、イタリアのYA小説『ぼくたちは幽霊じゃない』(岩波書店)を読みました。実話にもとづく小説で、アルバニアからゴムボートで対岸のイタリアに渡った少年とその家族の物語です。

父母も少年とその妹、皆、在留資格がありません。泥地のバラック生活の中、少年は小学校に通います。在留資格とは関係なく、少年は小学校で学ぶことができています。
少年の妹が幼稚園に通っていないことを知った小学校の教師が、幼稚園への入学を保護者に勧めます。しかし、幼稚園は義務教育ではないからでしょうか、幼稚園の園長から、日本のような就学拒否を受けます。

小学校は安心して通えますが、それ以外の場所では、少年もその家族も、見つからないようにびくびくした生活を送ります。

在留資格や国籍に問わず就学を認めるということはとても大切なことなのですが、やはりそれだけでは問題は解決しません。
在留資格が無いということ、そして、出身国では政治的・経済的等々の理由で、生活できないことを、やはり正面から考えなくてはいけないのだと思います。
この点、日本の難民受け入れ人数は、世界的にみて、かなり少ないということが問題になってくると思います。

そしてさらに、このケースから、別の問題も想起されます。
在留資格があって、就学通知が届いていても、就学手続きをしていない、就学手続きをしていても学校に通っていない、多くの外国籍児童生徒の問題です。

私自身も、何人も目にしました。中学校のジャージを着て、日雇い労働の賃金を受け取りに来る者もいました。
今の日本の学校に、自ら選択して、通わないという子どもたちが、このような就学拒否問題の背後にたくさんいる、ということです。

今の日本の学校に、自ら選択して、通わないということは、日本国籍の児童生徒の場合にも同様なのですが。